2005年12月14日

2005年09月07日

台湾ちょっといい話・2

2chの台湾関係の板やスレから、気に入ったレスを転載。
旅行や仕事で行った台湾での心温まる体験談。
見やすいように改行だけ変えている場合あり。



153 名前:美麗島の名無桑 :01/12/13 20:37
福岡から台北行きの飛行機の中で、たまたま座席が隣り合わせになったおじいちゃん。
山口在住で少年時代を台湾で過ごしたという。
すごくおしゃべりで、飛行機が到着するまで私は耳を休めることができなかった。
今回、50数年ぶりに台湾を訪れ、昔の友に再会するのだという。
空港到着後、入国審査のところで、おじいちゃん達とは別れた。

2日目のこと。
台南の古跡、赤嵌を訪れた。
ふと見ると向こうから、あのおじいちゃん達が歩いてくるではないか。
なんとなく躊躇しながら「おじいちゃん」と声をかけようとした時、視線の脇より別の老人が飛び込んできた。
次の瞬間、2人は2言、3言、言葉を交わしたのち抱擁した。そして頬に涙。
そうです。私は見てしまったのです。歴史的瞬間を.....

しばらくして、私はそっと立ち去ろうとした時、おじいちゃんの方も私に気づき、
声をかけてくれた。そして台湾人の老人の方にも紹介してくれた。
台湾人の老人は、しつこく、一緒に食事をしていくよう勧めてくれた。
近所のレストランで、食事をご馳走になった後、私は別れた。

何よりも感動した台湾旅行だった。





163 名前:美麗島の名無桑 :01/12/15 01:53
つい1週間前のこと。台湾から1通の手紙が届いた。
差出人の名前にも、住所にも全然心当たりが無い。
封を開け、手紙を読む内に7,8年前の記憶がよみがえった。

台北に2ヶ月ほど出張したとき、帰国間近の休日を利用し一番南の墾丁へ出かけた。
自然公園の日本では見られない紫色の蝶が舞い、海の色が限りなく美しかったことを覚えている。
夕方近く、帰路へ着こうとバス乗り場へ足を進めていると、
「日本人の方ですか?」と声がかかり、「はい」と頷くとそこには老夫婦がいた。
その後どのような会話をしたか、今は記憶に無いが、この家族に車に乗せてもらうことになった。
40代の息子さんが運転手。私は助手席に乗せてもらい、後に老夫婦と高校生の孫娘さん。
老夫婦のほか息子さんの日本語も上手で、このことがおじいさんの自慢。
孫娘さんが日本語に興味を持たないことをしきりに残念がっていた。
このあと、車で高雄空港まで送ってもらうことになったが、この家族の家は高雄から南へ30分位の東港で、ここへ寄り道ししばらく休憩させていただいた。
その後おじいさんと息子さんに送っていただき、空港では私が搭乗口へ消える1時間ほどの間、ずっと一緒にいてくださった。

その後いったん日本へ帰国し、2ヶ月ほどのち再度台湾へ出張した。
外国人向けの日本語のテキストを2冊ほど抱え、この家族を訪ねた。

もう、ずっと以前のことなのですっかり忘れていた。
で、手紙の中身なのだが.......
日本語の本をいただきありがとうございました。とはじまり
その後、孫娘さんも日本語に興味を持つようになり、家族みんなで日本語が
出来る喜びを切々と綴ってあった。
最後に、先月、孫娘さんが日本人と結婚したことを記していた。





230 名前:関空好き! :02/02/13 10:39
仕事で始めて台湾に行ったときでした。私は20代前半の若輩者でまだ台湾のことを良く知らず、「所詮、自社製品を安く作るための、安い労働力。」などと考えていました。
そんなとき、台中の工場の社長さんに出会いました。
彼は日本語を流暢に話し、日本のことにも精通していました。
また、私に毎日のように台湾の素晴らしい料理をご馳走してくれて、まるで遠くから来た孫のように接してくれました。
私はそれまでの中国出張の経験から、
「これは過剰接待である。この分は生産品のコストに上乗せされる可能性があるので、注意する必要がある。」と、考えていました。
出張の最後の日、彼は中正国際空港までバスで帰る私に、心配だからと言って付いて来ました。
そこで彼は私に、後継者がいないので、もうすぐ工場をやめる予定だと言いました。
私は耳を疑いました。
工場を閉めるならば、私をもてなした見返りはまるでないということだからです。
私は彼の行動が理解できず、なぜ私をこのように大事にしてくれたのかと聞きました。
彼は言いました、「日本人には昔世話になったからね・・・。」

その後、彼の工場はなくなり、私は今もアジア各地をうろつきまわっていますが、
台湾の人が、お客さんとして日本に来ているときだけは、休みを返上してでも
彼らのために出来る事をさせて頂くようにしています。
それが見返りを求めず私をもてなしてくれた恩人に唯一報いる路だと思っています・・・。





271 名前:美麗島の名無桑 :02/02/25 01:58
10年以上前のことだが、阿里山で新高山越しのご来光を見て、
しばらくして台北に帰ってきて中正記念堂の前をぶらついてたら、
後ろから知らないおばさんに
「ちょっと、あんた」と呼びとめられた。
「あんた阿里山にいたでしょ」
「ええ、いました」
「あたしあんたのうしろでご来光見てたのよ」
「そうだったんですか」
「あたし高雄からきたんだけどね、農協の旅行で」
「へー」
現地の人だった。なんかすごく気安くて楽しいくらいだよな。

おんなじような調子で、行く先々で「日本人の若造が来た」ってだけでとっつかまって、ご馳走してくれたり、ほんとに親切にしてもらったな。
自分は歴史好きなんで、昔話されても退屈しなかった。
桃園では民進党の議員だと自称する爺さんと「加藤隼戦闘隊」を歌ってきた。






275 名前:美麗島の名無桑 :02/03/05 16:34
台湾で旅行者用のバスに乗って外を見てたら
隣の車に乗っていた初老の男性と目が合った。
なんていうか、なんだかとっても親しみのこもった目で見つめられたので
お辞儀をすると向こうも深深とお辞儀を返してくれた。
些細な事だけどなんだか忘れられない。






345 名前:美麗島の名無桑 :02/03/21 22:23
親友の死の知らせを聞いたのは台湾出張7日目のことだった。
幼い頃から兄弟のように育ち、よく喧嘩もしたし唯一心の許せるヤツだった。
もう、会うことも出来ないと思うと、夜も眠れず、食欲もない。
思い出だけが脳裏からはなれず、ただ、ただ、悲しい。
2日後、ようやく出張作業が終わったものの、何もする気にはなれなかった。
気持ちの整理がつかず、日本へ帰る気持ちにもなれない。

滞在先の安いホテルのフロントに宿泊の延長を申込み、部屋でぼんやりしていた。
何も考えたくない。
ベッドで一人、ただ時間が悲しみを取り去ってくれることを願った。

夕刻、フロントの小姐から部屋に電話がかかってきた。
「食事、一緒に食べませんか?1階で待ってますから・・・」
考えてみたら昨夜から何も食べていないことに気がついた。
言われるままに、1階へ降り、従業員用の食堂へ案内された。
2人の小姐と1人のおじさん(後日、このホテルのラオパンだと知った)と食事を摂った。
「明日も一緒に食べましょう・・・」と誘われ、部屋へ帰った。

次の日の夜、また部屋に電話がかかり、誘われるままに1階へ降りた。
テーブルの上にケーキがあった。
「ハッピーバースディ・・・」 
昨夜のメンバーと、このホテルの常連客のシンガポール人だった。

涙が出てきた。とめたくても止まらない。
うれしいのか、悲しいのか、分からない。一生分の涙が流れたと思う。
この夜、深夜まで皆が元気付けてくれた。
少しではあったが心の整理がつき、立ち直れそうな気がした。

翌日、ホテルをチェックアウト。日本に帰った。
ホテルの明細書を見てビックリ・・・宿泊の延長分や食事代は一切含まれていなかった。
早々、ホテルへ電話をかけ、このことを告げると
「ラオパンの指示ですから・・・、それよりも早く元気になってくださいね・・・、
それから、台湾へ来たら、いつもうちのホテルを使ってください・・・」





354 名前:美麗島の名無桑 :02/03/29 22:22
一昨年の11月に3泊4日での初台湾一人旅。
台北駅から光華商場へ行こうと小さな地図を持って歩いていった。
が、探せど探せどなかなか見つからず半ば途方に暮れた時、お爺さんが
「日本の方ですか?」
と実に丁寧な日本語で話し掛けてきた。実はここに逝きたいんですがと説明すると、
「ああ、あそこの赤やら青やらに光ってる。。」
『信号ですか?』と聞き返す
「そう、信号のあたりがみんな商場ですよ」
『どうもありがとうございました!』と答えて歩き出す。
そのあたりまで来た時にどうやら違う方向に曲がってしまったらしい
すると後ろから
「違うよ!そっちじゃなくてこっちだよ!」
おお!?さっきのお爺さんがスクーターから叫んでいる。
無事に着けるかどうか見守っていてくれたのか?
なんて親切な人なんだ!そして、なんて元気な人なんだ!
おじいさん、ありがとう!

ところで、士林で道を聞いたおばあさんも信号の事を
「赤やら青やらの。。。」と表現していたっけ。
台湾で困ったらお年寄りに頼りましょうね。
戦後中国から女性はほとんど来なかったそうなので、お婆さんの方が確実なようです。





408 名前:406 :02/07/11 21:33
>>407
ああ、はい私が悪かったですよ、そこまでいわれちゃしょうがない、一つしか無いけどお詫びにダチの話でよければちっこいのがあるよ

台湾に行った俺のダチが、なんとかという武術の先生のところに転がり込んで必死になって頼み込んで弟子(通いの)にしてもらったんだが、ある日無理がたたってバイトの帰りに夜の町中でぶっ倒れちまった。
そしたら、そいつがぶっ倒れていた場所の店の人が見つけて医者を呼び、一生懸命看病(一週間くらい)してくれたと、
ダチが感激して後日少ない貯金から礼を出そうとしたら、店の主人が

「必要なし、その代わり聞きなさい。もしあなたが同じように困った人を見つけて、そして助けることが出来る立場なら、どんな人でも助けてあげて、それが何より」
そいつが感激してもう一度礼を言おうとしたら今度はこう言われた

「さっきのはあなたの国の人が戦後まもない時期に私の祖父に言った言葉だよ、」
聞けばその家の亡くなった祖父はそいつと同じで戦後武術を習いに中国から渡ってきたクチで、やはり町中でぶっ倒れたことがあるんだと、そうしたら日本人の夫婦が見つけて看病してくれたらしい。

ダチはその店の方向に足を向けて寝られないそうだ





426 名前:美麗島の名無桑 :02/07/15 02:28
台東で知り合ったお爺さんに聞いた話し。

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以前ねー、日本人らしき女性が深刻な顔をして、この辺に座ってたの。
私が話しかけてみると、「台湾を一人旅しているが、財布(12000NT$)等を無くしてしまって、帰りの航空券も買えない」と言ったの。

私は可哀想に思ってねー、友人と相談し
「日本から送って返してくれればいいですよ」
と言って、12000NT$をその女性に貸してあげたの。
女性は感激してねー、何度もお礼を言い
「必ずお返しします」と言って帰って行ったの。

女性が帰った数日後、再びその女性が台東に来たから驚きましたよ。
理由を聞いてみると「日本に帰って、父にこの事を話しました。
父は感激して
『見知らぬ外国人のお前を信用し、12000NT$の大金を貸してくれた方に送って返すのは失礼だ。台東に戻って直接返しなさい』と言われました。」
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お爺さんは
「感心しましたよ。わざわざ台東まで返しに来たんですよ。昔と同じ、日本人は礼儀正しく真面目ですよ」
と嬉しそうに俺に語ってくれた。






603 名前:美麗島の名無桑 :02/12/05 23:53
台湾に一人で旅行をした時、どうしても美容院で横にならずにやってもらうシャンプーをやってもらいたかった。
筆談でどうにかやってもらえることに。洗い終わった後に何か言ってくるんだけどなんだかわからない。すると私に電話に出ろと。何かと思って電話に出ると
「もしもし、私日本語わかるからね」と、おばあさんの声。
「あのね。どういう風にブローすればいいのかわからないのよ。おばさんが通訳してあげるからね」と。
その間も美容師さんはニコニコしていました。
すっごく丁寧にやってもらって感激。
日本が統治していた時に覚えた日本語ということ。
役に立てて嬉しいとまで言ってくれた。
本当に台湾っていい国!





873 名前:美麗島の名無桑 :03/11/15 23:14
台南にて。

台南駅を出て、さぁこれからどこにいこうかときょろきょろしてたら、
タクシーの運ちゃん風なおじさんが近づいてきた。
「どこに行くんですか?」
警戒して「ええっと。。。どうしようかなぁ〜」と語尾を濁しつつ、
なんとなくそのタクシーに乗ってしまった。
そのままホテルにチェックインすることにしたが、運ちゃんにそれを伝えると、張り切ってこぎれいなホテルに乗り付けてくれた。
そのときはホテルとグルになってかもられてんじゃないかと、すっごい警戒してたんで、
「このホテルいくらっ!?」
とあわてて言ったら、ホテルのフロントの人にわざわざ聞いてくれた。
最終的に3〜4件巡って、予算的に納得できるところに落ち着く。
本当にすべて善意でやってくれたらしい。疑った私は汚れていた。スマナイ(泣)

観光名所、チーカンロウを観光する。
写真を撮ってもらおうとして、近くにいた中年カップルに頼む。
「写真とってくれますか〜?(北京語)」
「いいですよ〜。」
「(撮り終わって)どこから来たの?」
「日本です。」
「えっ、日本人?ヨウコソイラッシャイマシタ!」
「(こっちも日本語で)おぉっ、日本語お上手ですね!」
「いやー。仕事で使っているんでね。どうぞ、台南を楽しんでいってください!」

公園をうろちょろしてたら、70くらいのおじさんに声を掛けられた。
最初は台湾語だったけど、うろたえてる私を見て日本語に切り替えた。
「旅行ですか?」
「はー、そうですー。」
日本時代は郵便局員だったというその老人、宋さんはそれから3時間延々と日本に対する思いを語ってくれた。
ちょうど昼食時になったので、近くにある食堂に連れて行ってもらった。
もちろん宋さんのオゴリ。
それからお土産に、と絵葉書をくれて、駅までのタクシー代まで出してもらった。

そして台南駅で、高雄までの切符を買おうとして路線図を見上げていたら、今度は50がらみのおじさんが近づいてきて、「どこまでいくの?」と聞いてきた。
「高雄」と答えたそばから、そのおじさんは窓口の係員に「高雄まで一枚!」と告げた。
お金を出そうとすると、「いや〜いいっていいって!」と断固拒否。

台南。なんともホスピタリティーにあふれた街だった。





962 名前:美麗島の名無桑 :04/02/17 13:37
台湾イイよ。
台南からバスで烏山頭ダムまで行くつもりだったんだね。
それで台北の友人の友達にそこ行きのバスを探してもらったんだ。
でも、なかなか見つからなくて、やっと、烏山頭ダムから4キロほどのところまで行くバスを見つけてもらった。
バスの運ちゃん(50歳くらいかな)俺が日本人だと分かるとうれしいらしく、乗り込もうとしたら、日本語で話しかけてきた。
「オリナサイ」
反射的に降りようとしたら、「マッテ」。
どうやら、「降りなさい」と「乗りなさい」を間違えただけのようだ。
烏山頭まではそのバスは行くバスじゃないんだが、行ってあげるだって。
日本の音楽が好きらしく、テープが日本の音楽だらけ。
「帰ってこいよ」という古い音楽を聴きながらバスに揺られることになる。

↓続き
963 名前:美麗島の名無桑 :04/02/17 13:38
運ちゃん、烏山頭ダムに来てくれて嬉しいよとしきりに言っていた。
烏山頭ダム、これは日本人が作ったダムなんだよな。
八田興一が、働くにはまず環境からと、作業員のための環境作りをまず整えた。
社宅、医院、公共風呂、テニスコート、学校なんかを整えて働きやすい環境を整えたんだ。
ダム建設は順調にいった。
でも、関東大震災で財政難になり、リストラを政府から迫られた。
それで八田はどうしたかというと、有能な人物から辞職してもらった。
有能な人物は他に職をすぐに見つけられるだろうし、いい技術者がもっと生まれるかもわからんと考えたわけ。その八田も烏山頭ダム完成の後フィリピンに異動命令。
フィリピンに向かう船の中、米軍の攻撃に逢い、命を落とす。
その後、日本も敗戦し、妻も夫の後を追いダムに身を投げた。
終着のバス停で僕一人を乗せたバスは烏山頭ダムへと向かう。
運ちゃんとの別れの時に撮った写真は今でも俺のかけがえない台湾での宝物の一つだ。

posted by (・∀・)うーぱー at 12:59| Comment(7) | TrackBack(0) | 和みネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月26日

台湾ちょっといい話

2chの台湾関係のスレに投稿された台湾体験談。
ほとんどが台湾に旅行に言った時のエピソード。
他にもいっぱいあるけど、とりあえず少しだけピックアップ。
周りが周りだけに、台湾は和む話が多くていいやね…。
日本統治時代の台湾で暮らしていた方の体験談も保存してあるけど、サイトを作るそうなので割愛しますた。(当時の台湾の様子がよく解って物凄く面白い←2chの台湾板で読める)



11 名前:1 :2001/07/02(月) 23:47 ID:???
私が初めて台湾を訪れたのは10年以上前、春の終わりのことでした。

台北のあるお寺を参詣しようとバスを乗り継いできたのですが、道に迷ったらしく、
地図を取り出してみたものの、訳がわからず困っておりました。

そこへ、一人のおばあさんが近づいてきて、
「何だ、あんた、日本の人かね?」。
私「はいそうです、道に迷ってしまって……」
おばあさん「どこに行くの?」。
私「このお寺なんですが」。
おばあさん「ああ、ここはちょっと遠いね。道を間違えたね。あんた、もしよかったらウチに寄ってきなさい。息子に送らせるよ」。

と言うわけで、そのおばあさんの家にお世話になりました。息子さんは役所に勤めており、あと一時間ぐらいで戻るとのこと、日本統治時代の話など、畳の部屋でいろいろと伺いました。

息子さんが帰ってきて、別れ際、「台湾の果物おいしいよ。ほら、持っていって」と、たくさんのお土産をいただきました。

その後、数え切れないくらいの台湾の人々との出会いがありましたが、これが最初です




21 名前:美麗島の名無桑 :2001/07/03(火) 22:54 ID:???
何年か前に台湾に行った折、友達とタロコを抜けて山岳横断のドライブを
したことがあった。

春先のことで、連日の雨が続いて落石で道が悪くなっており、小さな石が道に
たくさん落ちていた。いやな予感が的中し、夕方に車がパンクしてしまった。
標高はたぶん1500m以上、スペアタイヤなし、霧が掛かって冷え込み、
あたりが全然見えなくなった。当時は携帯電話も普及しておらず、周りに民家も
なく、車も一台も通らず、進退窮まり、野宿を覚悟した。

20分ぐらいした頃、ようやく一台通りかかり、無理に止めて助けを求めたところ、
数キロ先の小さな食堂まで乗せていってくれると言う。感謝し、霧の山道をその店へと
向かった。

店につくと、食堂というよりは茶店兼雑貨屋という雰囲気で、奥から
かなり高齢のおばあさんが出てきた。親切なおじさんと言葉を交わすと、
おじさんは「もう大丈夫、ここで電話を借りなさいね」と言い残し、
去っていった。

ところが、おばあさんには北京語も台湾語もあまり通じず、要領を得ない。
友人によると、どうもアミ族の人らしい、ということだった。僕が
「ああ、困ったな」と呟くと、おばあさんから、「日本の人か、日本語少しできる」
という返事が返ってきた。

僕がにわか通訳となり、車がパンクしたこと、電話を貸してほしいことなどを
おばあさんに伝えた。おばあさんは、「たいへんだったね。腹減ったかね?
ご飯食べるか」と、あくまでも優しい。結局、名前は知らない野菜と肉の煮込みと、
山菜の炒めもので体を温めた。

2時間ほど経って、ふもとの修理工場から車がきた。僕たちは今きた道をまた
登っていった。おばあさんは別れ際に「たけのこ」の漬物を持たせてくれた。
お金はどうしても受け取ってくれなかった。

今でも、台湾の山の話を聞くと、おばあさんを思い出す。





37 名前:美麗島の名無桑 :2001/07/26(木) 22:08 ID:???
花蓮という台湾東部の町がある。9年前、台北から軽い気持ちで、
友人と連れ立って足を伸ばした。

駅前から程近い宿の夕べ、暇を持て余した僕たちは、夕涼みがてら散歩に出かけた。

名物のさつま芋のお菓子の店を冷やかしたり、ワンタンのおいしいお店で小腹を満たしながら、1時間も歩いただろうか。
陽は既に落ちかけ、涼やかな風が心地よく吹き抜けていた。戦前の日本家屋が夕陽に深く染められ、僕は子どもの頃に戻ったような錯覚をしていた。

宿への帰り道、友人が、「おい、ちょっと見てみろよ」と、ふいに声をかけた。
どうも印鑑の店らしい、日本語で、「印鑑スグデキマス」と書いてあった。友人は、
「ちょうどいい。ここは大理石が名産なんだ。造ってもらえよ」
と言い、僕の腕を引っ張った。

店では、中年の店主らしき人が、汗を拭き拭き、刻印の作業に打ち込んでいた。
友人が台湾語で声をかける。店主は僕に微笑みかけ何ごとか尋ねる。僕は日本語で答えた。
「すみません・・・印鑑が欲しいのですが」。

店主の表情が、何とも言えない笑みと、緊張を湛えた。やがて耐え切れぬように、
「日本人の方ですね」。

「はい、そうです」
「日本人の方、いまは来ない。お父さん、私のお父さん、とても日本語じょうずだった。日本の、方、いっぱいお客さん、来ました。ハンコ、いっぱい、造りました」。

僕は印鑑を注文した。大理石のよいものを選び、姓名印と、書斎印を頼んだ。
店主は瞳を輝かせていた。

明日の朝、出立前に届けてくれると言う。宿の名前を告げると、
「ありがとう。お父さん、日本人にハンコ造ってあげられたこと、うれしい。私もいま、日本の人に、ハンコ造って、お父さんと同じことできて、うれしい」。
店主の目はうるんでいた。

花蓮が好きになったきっかけは、この出会いからだった。





64 名前:nyan :01/08/30 18:49 ID:5nlvhxe2
はぁ〜。また泣いちまった。>>21>>37

東海岸の町台東でひどい頭痛に悩まされ、街角で見つけた薬屋でちょっと怖いけど痛み止めと白花油を買おうとした。
店主に「頭が痛いんですけど・・・」と話し掛けると私の顔をじろじろ見て「日本人か?」と訊いてきた。
「そうです」と答えると「私のお父さんは日本語が上手だから、ちょっと待ってなさい」と言って奥に入っていってしまった。
別に薬が買えればそれで良いのに・・・と思っていたら奥からかなりご高齢のおじいさんが出てきて、お辞儀をして「ようこそいらっしゃいました」と日本語で言った。
「あっ、はい」と私もおもわずお辞儀をしてしまった。
「どこが悪いのですか?」とおじいさん。
「あの、頭が痛くて・・・痛み止めが欲しいんですが・・・」と言うと
「それなら、これがよく効きますよ。食事の後に飲んでください。」
と出された錠剤には‘aspirin’と書いてあった。
「あの〜、できれば・・・アスピリンじゃないものが欲しいんですが・・・」
と言いながら、アスピリンは北京語でなんて言うんだっけ?でも折角出てきてくれたんだから素直にこれ買っとくかな・・・と葛藤していたら、
「ああ、そうですね。では非アスピリン系のこちらはいかがですか?」
と別なのを出してくれた。
ほっとして「ではそれいただきます。」と5錠(バラ売りだった)買った。
おじいさんは「いいですね、食後ですよ。お茶はいけません、お水で飲んでください。」と言いながら薬を渡してくれた。

受け取りながら「日本語本当にお上手ですね」と言うと、
「いえいえ」と謙遜して首を振った。
その後ろのほうで、息子である店主は嬉しそうに、少し誇らしげに微笑んでいた。
「留学してらっしゃるんですか?」と訊かれ、
「いいえ旅行です」と答えると「一人で?勇気があるね」と言われた。
「宿はどこ?」
「駅前の××旅社です」
「ああ、あそこの主人知ってるよ。あれも日本語が出来るでしょう」と言われ、
「はい、助かっています」と答えた。
帰ろうとすると
「台湾には悪い人も多い。日本と違うよ。暗いところは歩いてはいけないよ。」
「タクシーもその辺を走っているのを拾ってはいけない。宿の主人に頼んで呼んで貰うんだよ。いいね。」と諭されて、
「気をつけてね、気をつけて帰るんだよ」と手を振ってくれた。
私は振り返りながら何度もお辞儀をしてしまった。おじいさんはずっと手を振っていてくれた。




82 名前:美麗島の名無桑 :01/11/11 02:11 ID:+g+hCnRM
夏に行ったとき、ジュース屋の前で悩んでたら、一人の女の子が近づいてきて
なにのみますか? と聞いてきた。 はぁ?突然の出来事で動顛してしまった。
どうも、彼女は日本語の学校でも行っているんだろう。じゃ、お言葉に甘えて
アイスクリームのような、シェークのようなものを飲みたい。とお願いした。
いくらですか?と聞いたが、すでに暴走中。私たちにジュースを渡し、微笑み
ながら、人ごみに消えていった。お金ー、と言ってみたが、どうも、最初から
もらう気もないようだった。私たちは、最後まで はぁ? 状態で狐に摘まれた
ようだった。有難うございますと感謝の言葉を伝えたかどうかも憶えていないが、
こんな子、日本にいるだろうか?台湾は本当にいいとこだーーーー!!おわり。




105 名前:美麗島の名無桑 :01/11/29 14:44
台中に行ったとき、お寺にお参りしようと思ってバスに乗ったら、
間違えてしまいました。道に迷ってうろうろしていると、おばあさんが
突然、「日本人? どうしたの?」と声を掛けてくれました。事情を話すと、
「まあ、ウチでお茶でも飲みなさいな。ほら、こっちこっち」とスタスタ歩き出しました。

マンションの一室に案内されると、立派な畳敷きの和室で、おじいさんが
読書中、ぎっしり詰まった本棚のほとんどが日本の本でした。
「よく来たね。うれしいよ」と破顔一笑、おいしいお茶をいただきながら1時間以上話しこんでしまいました。

やがて息子さんが帰ってきて、お寺まで送ってくれることになりました。帰り際にいただいたのが果物と赤飯のおにぎり。
「昨日アメリカの大学から孫に合格の知らせが来てね、そのお祝いをしたの」とおばあさん。

「元気でね。またいつでもいらっしゃい」という声に送られ、車に乗りました。
お参りはやめて、もっと話していればよかったといまだに悔やんでいます。




107 名前:心も美麗島 :01/11/30 20:40
では、私もひとつ....
以前、福岡で知り合った台北の友人を訪ねて旅行した時の話です。
その友人にドライブで九イ分に連れて行ってもらった。途中、観光商店街を
見物している最中、あろうことか迷子になってしまった。30分以上探したが
友人は見つからず途方にくれてしまった。言葉はわからないし不安で仕方なかった。

そこへ老夫婦のおじいさんが、流暢な日本語で声をかけてくれた。
事情を説明したら、ついて来なさいといってくれ、近所のおじいさんの親戚の家に案内された。友人は携帯電話を持っていたが、あいにく電話番号のメモを車の中においてきたために連絡の取りようがない。
おじいさんの親戚の息子さんが、台北のあちこちに電話を掛けまくってくれて、それから1時間後ようやく友人と連絡をとることが出来た。

やがて友人が迎えにきてくれたが、おじいさんが、食事をしていきなさい、といってくれた。
友人と、夕食をご馳走になりながら、いろいろ半世紀以上前の昔話を聞かせてもらった。
当時、日本人の人たちに大変お世話になったのだと聞かされた。
話をしながら涙ぐむおじいさん。
その話を聞いて、思わずもらい泣きをしてしまいました。
友人も、日本人の見方が少し変わったよ。といってくれた。
ありがとう、お世話になった、台湾のみなさん!!


108 名前:心も美麗島 :01/11/30 21:03
追記...
その後、台北の友人に頼んで、おじいちゃんに贈り物をしてもらった。
(日本から送りたかったのだが輸送費が高すぎだったので、台北の
日系デパートで日本酒を買って届けてもらった。)
しばらくして....
おじいちゃんから、国際郵便でウーロン茶と日本語で書かれた手紙が届いた。
そして今、おじいちゃんは私のメールフレンドなのです。





150 名前:すもも :01/12/04 00:59
4年ほど前に出張で台中に行った。
台中のホテルに泊まっていて、帰国の日に飛行場までのバスに乗りたかったのだけれど、
言葉が出来ないからどうしようって困ってた。泊まっていたホテルのお兄さんに
身振り手振りで(後少しの英語で)なんとか理解してもらった。
そしたらお兄さんがホテルの前に止まっているタクシーの運転手さんに
犬のバス停までって言ってくれた。
バス停に着くとタクシーの運転手さんが今度は大声で窓からチケット売りの
人に叫んでる。???と思いながらお礼を言ってタクシーを降りると
チケット売りの人が何も言わない私に飛行場までのチケットを渡してくれた。
もちろんお金は払ってますが。運転手さんが、
「彼女は飛行場に行きたいから飛行場までのチケットを売るように」って
伝えてくれてたみたい。
そこで座っていると、チケット売りの人が私を呼びに来た。
???って思っていたら飛行場行きのバスが来たからって呼びに来てくれたみたい。
おかげで無事に飛行場まで着くことができた。
ホテルのお兄さんから始まって、タクシーの運転手さん、チケット売りの人、
みんな優しさのバトンを渡してくれて、気持ちよく帰国する事ができた。
台湾から帰ると必ずって言うほど、日本に来ている外人さんに優しくしなきゃって
気持ちにさせられる。これが彼らへの恩返しって思っている。





286 名前:美麗島の名無桑 :02/03/07 19:25
地方都市から台北に着いたとき、いまいちバスの路線がわからず近くにいたお姉さんに尋ねたら親切に教えてくれた。
「あっ、いま来るバスがそうだよ!」と言うので「いくらですか」と聞いたが、いわれた値段に小銭が足りなかった。
お姉さんは自分の財布を開いて私にバス代を握らせ、「早く乗りなさい」というので「え〜、受け取れません」と言うと「いいから、乗りなさい」とバスの入り口に押して乗せてくれた。
まったくの見ず知らずの人間にそんなことができる人ってそうそういないと思うけど、なんかメチャ感動した。
ありがとうお姉さん。





302 名前:みるみる :02/03/09 19:17
台南で夜9:00頃「小北観光夜市」に行きたく、ホテルのフロントのネーチャンに地図を書いてもらった。
ホテルから散歩で20分位だというので歩いて行ったが、何故か迷ってしまった。
チョイ心細くなった漏れ。そこに仕事帰りらしき青年がスクーターから降り、
家に入ろうとしていたので、カタコトの英語で聞いてみた。
青年の年齢は20代後半で真面目そう。
俺の英語は全く伝わらなかったが、親切に地図を書いて教えてくれた。
「謝謝」とお礼を言い、俺は地図を見ながら歩き8分程たった時、後ろから声が掛かった。

声の主は先ほどの青年、北京語でスクータの後ろに乗れ?と言っている。
この青年も「小北観光夜市」にメシでも食いに行くのだろうと思い、俺は遠慮せずにスクータの後ろに乗った。3分程で「小北観光夜市」に着いた。
青年は、ここが「小北観光夜市」だよと俺に説明し、直に帰ろうとしている。
何のことはない、彼は俺が迷子になっているんではないかと思い追いかけて来たようだ。
俺は再び「謝謝」とお礼を言うと「気にするな」という素振りで帰っていく。
更に俺が「再見」と言うと、彼は笑顔で振り返り大きく手を振って帰って行った。

しかし、何故最初会った時に直ぐスクーターで送ってくれなかったんだろう?
小便でもしたかったのか?それとも、
家に入り、日本人に道を聞かれた事をじーちゃんにでも話したんだろうか?





326 名前:みるみる :02/03/10 05:56
台南にて。
観光名所の「赤篏樓」に行くため、ホテルをAM11:00に出た。
ガイドブックの地図ではホテルから「赤篏樓」までは徒歩で10分程度。
30分程歩きまわったが「赤篏樓」を見つけられない。なんでやーー。
漏れは、再度ガイドブックを見てテメーの位置を確認していた。
すると、女神様(台湾人)が現れて、漏れに「どうした?」と日本語で声を掛けられた。

台湾南部には「美しい日本語を話す老人が沢山いる」つーのを、ガイドブック&インターネットで知っていたので驚きはしなかった・・・・がっ。

漏れがガイドブックから顔を上げると、スクータに乗った小さなコ汚いジジーがに目の前にいた。
ジジー「どうした?お前日本人だろ?何処に行きてぇんだ?俺が教えてやる」
発音も何もかも完璧な日本語。つーか、乱暴な言葉を使う単なる日本人のジジー。
(これほど完璧な日本語を話す人は初めてだった)

漏れはアッケにとられながらジジーの方に歩いていき、
「日本人です。赤篏樓に行きたいんです」
ジジー「なんでぃー、赤篏樓かよ!!!ケッ!!!。それなら、この道を真っ直ぐ行って2本目の交差点
を左に曲がれ、右手に赤篏樓がある」
漏れは呆気にとられながら「どうもありがとうございました」とペコリ。
ジジー「おぅー、きーつけてな。」
漏れは暫く放心しながら歩いていた。





844 名前:美麗島の名無桑 :03/10/12 18:46
つい先週だが、友人3人と4泊5日で台北へ行った。
現地では沢山の人が親切に助けてくれたが、一番心に残ったのは
夜に九分(本来は人偏に分)という町へ行った時のこと、
着いて間もなく雨が降り出した。

私たちは傘を持っていなかった。
店はどんどん閉まっていき、観光客もいなくなった。
仕方がないので、ガイドブックによく出てくる風景だけ見て帰ろうと
近くを歩いているおじいさんに道を聞いた。
おじいさんは「すぐそこだよ・・・」と指を指しながら案内してくれた。

「おじいさんもコッチの方角に帰るのかな・・・」と心配しながらも着いていくと、
雨が少し強くなった。
おじいさんは持っていた大きな傘をさし、私たちに入るよう言ったが、
おじいさんが濡れてしまうと困るので私たちは拒んだ。

目的地に着いたとき、おじいさんは我々に傘を差し出して「これを持って行きなさい」と言った。
たったいま会ったばかりの見ず知らずの私たちにだ。
「いけません!あなたが風邪を引いてしまいます。タクシーを拾うから大丈夫」と
言うが、なかなか承知してくれない。やっとのことで御礼を言って別れると、
私たちは目的の風景で写真を撮り始めた。

その、ほんの数分後・・・向こうから先程のおじいさんが帰ってくるではないか!
どうしたんだろうと見ていると、おじいさんは黄色いものを3つ私達に差し出した。

それはビニールの「カッパ」だった。
コンビニでひとつ33元もするカッパを、彼は買って戻って来てくれたのだ。
それも3つも、初めて会った日本人の為に!

「私はね、日本に行った事があるんだよ。もう10年も前だけどね」
おじいさんはそう言うと、最初に出会った方角へゆっくりと帰って行った。
私達は涙が出そうになって思わず拝んだ。





859 名前:美麗島の名無桑 :03/10/28 07:02
中正記念公園の北?に位置する豆乳朝食屋さんでの事
私と友達は、台湾らしい朝ご飯を食べる為にやっとの事でその店を探しだした
ホカホカであっさりした揚げパンと、台湾ならではの程よくあま〜い暖かい豆乳の組み合わせは絶品
店先でどう注文していいかわからずウロウロしていた私達を見て、
店にいた40代くらいのおじさんが、日本語を話せるおばさんを呼んできてくれた
私達はおばさんに、パン、小龍包、豆乳が欲しいと伝えた
美味しそうな卵がはさんであるパンを見つけて、これも!と言ったら
絶対に食べられないから買わないほうがいいよ、と商売かえりみずの忠告
素直に従って、店内でおいしい朝食にありつきました
2人は私達から微妙に離れた場所に座って、何か果物を食べながら雑談を始めました
私達を時々見ては、小龍包は熱いうちに食べなきゃダメよ、と気をくばってくれる
その果物は台湾の果物ですか?と聞いたら、これはブンタンだと言って実をわけてくれました
お腹は満足した私達でしたが、どうしても卵つきのパンを試してみたくて結局もう1個パンを買う事に
少々苦しいお腹で、アッサリした果物を食べてみると、サッパリしててとても美味しい
日本語を話さない台湾のおじさんでしたが、私達を見て、どうも外の方を指さす
どうやら、隣で売ってるよと言ってるらしい
私達はおじさんとおばさんにお礼を言って店を出て、隣の果物屋さんで台湾の珍しい果物を見ていました
すると、おじさんが歩いてきて、これだこれだとブンタンを指さしてくれました
多謝と伝えて、私達は無事ブンタンをゲットして帰途につきました

泣けるようなエピソードではないんですが、ほのぼのとした台湾での朝の思い出です
台湾の方とは何となく、気の使い方というか、人との微妙な感覚が合うなーと思いました
おじさんは、大きく愛想をふりまくでもなく、何となく恥ずかしげで、
だけど気をつかわせない程度に近くにいてくれて、という感じでとても印象的でした

台湾の方、どうもありがとう





944 名前:コピペ 本日のレス 投稿日:2005/03/27(日) 20:22:53 JksiwmXV
オレじゃなくて、いやね、ウチの母親なんですよ。
母親が台湾に旅行するってんで、お守り持たせた訳ですわ。
母親の入ってる団体の慰安旅行だから別にそんな危ないわけじゃないんですけど、
ウチの母親飛行機乗ったことないイナカモンなんで、怖がったから持たせたんです。
お守りっていっても、翡翠の玉(漏れが山で拾ってきて磨いてキーホルダーに加工したやつ)なんですけどね。

で、無事帰ってきたおかんがなんか暗い顔してんの。
どうしたの、楽しくなかったのか?ってきくと「財布落とした」って。
台北かどっかのタクシーの車内にうっかり忘れてきたみたいだ、って言うんですよ。
財布はともかく、漏れに貰った翡翠の玉を入れてたのが申し訳ない、ってなんかもう死にそうな顔で

あほだなあ、おかんが無事で帰ってきたんだからじゅうぶんなんだっつーの、って言ってもまだ立ち直れないの。


945 名前:コピペ 本日のレス 投稿日:2005/03/27(日) 20:23:29 JksiwmXV
んで、そんなことがあって帰国から10日くらいたった日にね、国際郵便が届いたんですわ。
差出人は台湾のヒト。
なんじゃこりゃ、とおもって母親が開けると、そこには落とした財布が入ってたのね。

ついてた手紙には
「私はタクシーの運転手だが、台北の駅であなたたちを降ろしたあとに財布を見つけた。
追いかけて返そうと思ったが、もう見つからなかったので失礼と思ったが財布の中身を見させてもらった。
運転免許証を見つけたのでその住所にこの財布を送ります。
私は日本語が読めないが、祖父が日本語の読み書きが出来るので代筆してもらいました」
とかあったんですよ。

もうね、アホかと。
行きずりの外国人のサイフですよ?ネコババしてもばれないのに、律儀に送り返すって、
どういう人たちなのかと。おまけに、入れてたNT$も全額そのまま。

で、封筒には別の包みも入ってて、それには
「財布を落としてしまってはお土産が買えなかったのではないか。とても美しい翡翠の玉が入っていたのであなたは石が好きな人なのだろう。お土産代わりにこれを贈ります。どうか台湾にまたいらしてください」
とかいう手紙と翡翠のブレスレットが入ってたんですよ。

もうね、なんつー人かと。
ちょっと書いてて涙出てきちゃうくらい、イイ人じゃないかと。
こんないい香具師がいる国だったらこんどは漏れも行ってみたいなと思ったわけでした。
posted by (・∀・)うーぱー at 23:52| Comment(6) | TrackBack(7) | 和みネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

うっかり萌えた父親のエピソード

生活板の「うっかり萌えた父親のエピソード」スレからの転載。
可愛いパパンがイパーイ(*´Д`)ハァハァ


6 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/04(木) 20:52:08 ID:T8lNrDl0
ウチの父、会社の社長で常に怖くしてなけりゃいけないんだが、
たまに後輩事務員を呼んで、
「ほ〜ら、今からお札が浮くで〜、トリック見破ったらジュースおごるわ〜♪」
「マッチ棒が消えるで〜、トリック(略)」
「これ知ってるか〜、縦じまが横じ(略)」
とかやってる。。。ムッシュピエールとふじいあきらが大好きらしい。
で、後輩がビックリするのを楽しんでいる。
娘として恥ずかしいんだが、楽しそうだから、まっいっかと。



7 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/04(木) 20:59:44 ID:jcIqqcir
父の日に、甘いもの好きな父のためにケーキを買ってきた。
家の前で偶然父に会った。
私が持っているケーキの箱を見たはずだが、その時は何も言わなかった。
私も何も言わずにケーキを冷蔵庫にしまった。
部屋でくつろいでたら、母が来て、
「お父さんが小腹がすいたって言うからおにぎりを勧めたんだけど、
『○○(私)が何か持ってた』とか何とか言ってたよ。ケーキ買ったんでしょ?
勧めてあげなよ(・∀・)ニヤニヤ」

普段はクソオヤジだけど、ちょっとかわいいと思った。
ケーキ勧めたら、好物のモンブランを食べてた。



15 名前:メイク魂名無しさん 投稿日:2005/08/05(金) 16:28:27 ID:1Pr8advh
猫缶をビールのつまみで食ってた。
いや、もちろん間違えて。
指摘したら顔が真っ赤になって「お、美味しいよ・・・」と
ものスゴイ笑顔で言われた。
も、萌え



24 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/06(土) 10:32:10 ID:29fuyDFJ
萌えとはちょっと違うかもしれないけど。

うちの両親は父が営業マン、母がその取引営業先で事務をしてて知り合った。
どっちの会社も今は当時の場所からは移転してるんだけど
こないだ仕事中にたまたま当時母の会社が入ってたビルの前を通ったみたいで、
母に電話がかかってきたそうだ。

「今有楽町の○○ビルの前にいるよー。懐かしいね。
あの頃、いつもこのへんから今日は会えるかなってドキドキしながら歩いてたんだよ」

27年前の父も、わざわざ電話してきた今の父も可愛いなと思いました。



25 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/06(土) 11:02:31 ID:C27Z4FcR
料理に挑戦した父。
スープカレーを大量に作った。私が
「おいしいよ!」
と言ったら、テレビ見ながら「あっ当り前だ!」と少し動揺していた(´ー`)
その次の日かな、母が捨ててしまった。「こんないっぱい腐るわ!」
父、いじけていた。



48 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/17(水) 20:09:13 ID:PcZdviuY
母が「昔、赤ちゃんは寝てたらネズミにかじられたりしてたんだよ。
ミルク臭いからだろうね。」と話すのを聞いてたら、
父が「俺、大人になってからネズミにかじられたよ!」と話に入ってきた。
萌えとはなんか違うけど笑った。



54 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/18(木) 00:24:51 ID:+DSHNH5A
今から20数年前。
胃潰瘍で入院した父は、大の牛乳嫌い。
でも病院の食事で牛乳が出て、
飲む飲まないで看護婦さんと大喧嘩したらしい。
そしてどうしたのかと思ったら、
「カルピス」で妥協したとの事。

カルピスってww



55 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/18(木) 13:37:38 ID:ghvFgZ3C
祭りの日に、父が夕方からソワソワしはじめた。
一緒に行こうと誘われたけど、人込みが嫌いだから断った。
すると「イカ焼き買ってやるから」「お父さん金魚掬い上手いよ」
などとあの手この手で連れて行こうとする。
はしゃぎっぷりに根負けして一緒に出掛けた。
父は金魚を一匹も掬えなかった。
でも楽しかった。



59 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/18(木) 20:00:31 ID:0/ytaVsf
愛犬の爪を切るとき、「かわいそう」といって涙目で作業する父。
贔屓の球団が勝つとものすごい長文メールで喜びを表現する父。
「誕生日に指輪買って」とねだった母に「何に使うの?」と無邪気に返した父。
(その前の年は満面の笑みで海釣りの竿をプレゼントしていた)

ハゲだしわがままだし頑固だけど萌える。



60 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/18(木) 23:54:08 ID:ghvFgZ3C
退屈だったのか、父が部屋に来た。
とは言ってもお互い何を話すでもなく、私は本を読んでいた。
不意に「おお。」と聞こえたので父の方を見ると、
粘着テープをコロコロ転がして掃除する道具でゴミを取って遊んでいた。
特に気に留めず本に目を戻したが、たまに「すごいなこれ」などと
ボソッと聞こえるので父をチラチラ見ると、自分の着てる服や
ぬいぐるみやカーテンなど、あらゆるものをコロコロしていた。
しばらくして「飽きた」と言って出て行った。
後で「お父さん、さっきのアレあげようか?」と聞くと
「自分で買うからいらない。」と言われた。



62 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/19(金) 00:18:12 ID:e6lrwL4C
お酒が大好きな父とお盆に田舎の親戚の家に行った
余り飲むな。と言われていたにもかかわらず酒がぶ飲み。
当然トイレに行きたくなり、「おぃ○○、ちょっとトイレ言ってこいよ」と何故かこそこそ進める父
「綺麗かどうか見てきて欲しいんでしょう」というとにこにこしながら頷く父
汚いトイレは怖いらしい

その後もガンガン酒を飲み過ぎ、手が言うこと聞かなくなり煙草に火をつけようとして火傷
「火傷しちゃった…火傷しちゃった…」
と、舌の廻ってない赤ちゃん語みたいなんで言われた。

そんな父は普段恐ろしい位怖い



64 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/19(金) 02:33:28 ID:T49+fvgG
友達から、ストローに息を吹き込むとストローの先に付いた風船が膨らみ、
その空気が抜けるときに「ビィーーー!」とやかましい音をたてる玩具を貰った。
父がさっそく興味を示し、何度も膨らませていた。
「お父さんテレビ聞こえない。」と言うと父は出て行き、
廊下からかすかに「ビィーーー!」と聞こえてきた。



71 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/19(金) 12:27:38 ID:HhRcBgNb
可愛すぎるぞみんなの父!

うちの父は家にいるぬいぐるみに鈴をつけて
「くまたんに鈴がついたお☆」
と見せびらかしにきたが、私も母もテレビの心霊写真特集に夢中で
「今それどころじゃないんだよ」
と相手にしなかったら、とおく離れた場所からチリチリンと淋しそうに鈴の音を鳴らしながらくまたんと遊ぶ父。
悪かったよ無視して。



80 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/19(金) 14:45:02 ID:T49+fvgG
父の実家は大変な田舎なので、近くにコンビニの類はない。
代わりに、食料品や雑貨を扱ってる古くからの小さな個人商店がある。
里帰りしたときに父とよくお菓子を買いにそこに行くのだが、父は必ず、
「こんにちはー!おばちゃーん!アイスちょうだーい!」なんて言いながら店に入る。
すると店の奥からおばちゃん(と言うよりおばあちゃん)が出て来て
「はいはい。あら!○ちゃん(父)いらっしゃい。何にしましょうか。」
と、会話が始まる。
どんな子供だったかや昔の悪戯を私にバラされ、恥ずかしそうにする父。
帰り道で「あ、ここ。おばちゃんが言ってた。お父さん、ここの川で溺れたの。」
と、ガイドもしてもらえる。
しばし子供に返った父の姿に萌える。



97 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 12:56:49 ID:imw3Sp7/
一人暮らし中だけど、実家に帰りたくなった…(つД`)・゜・
や、4日前に実家から戻ってきたばかりだけどさ。
これだけでは何なので。

酒に酔った父。部屋にいきなり入ってきて、添い寝しろと言う。
流石に酒臭い上に酔うとイビキが凄まじいので拒否。
すねた父は、「ふーんだっ!じゃあいいよ〜!」と言い、
去り際に「アッバーイバーイバイッ!アッバーイバーイバイッ!」と奇妙な節を付けて歌い、
それに合わせているもののリズムに乗りきれず、ワンテンポずれた状態で踊りながら去って行った。



101 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 17:25:55 ID:3AJ+KN93
9歳の孫から「おじいちゃん僕のこと何番目に好き?」と聞かれた父は
「1番だ!」と返事。更に「じゃあ、おばあちゃんは何番目?」と聞かれ「・・0番だ!」と。
「0番って、1番より先?」と孫に言われて「そうだ!」と笑顔で答える父がステキだと思った。

それを一緒に聞いていた母の反応は
「あら〜今度コーヒー濃いめにいれてあげるわ〜」
お返しちっちゃっ!w



104 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 23:02:18 ID:NaUsTF+L
長年入院していてやっと退院した父が動物園に行きたいと言った。
なので一緒に行ったら大喜びで、猿コーナーでずっと餌をやってた。
私がそんな父を見てたら、呆れられてると勘違いしたのか申し訳なさげに
「あと一回だけ餌買ってきていい?」
と微妙に首を傾け、いそいそと小銭を取り出し餌を買いに走った。
ちょっと可愛いと思った



107 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 23:38:11 ID:T69VnzWR
枕に恋人や好きな人の写真をプリントするサービスを
やってるお店の前を両親と通り過ぎた時、
「お父さんはお母さんの写真、枕にプリントしてほしい?」
と冗談で父親に聞いたら
照れくさそうに笑って
「うん、してほしいなー」なんてマジ即答してた。
ちょっと50手前の父に萌えた。

傍らでは母親が「えーイヤよぉ。」と冗談半分に答えてて
その反応を見た父親は笑いながらもちょっとショボーンって
なってた。
さらに萌えた。お父ちゃん、いつまでも元気でいてね。



115 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/21(日) 03:04:30 ID:OdeQ9Ni6
こないだスペースシャトルが帰ってきた日、
朝から親父はそれを大変楽しみにしていたらしい。
ことあるごとに「今日はスペースシャトルが帰ってくるんだぞ」としつこい。
「遮熱板がはがれて降りてこれるんかな」と言うので
親父っても70近いので、そんな情報まで知ってるの事に驚き
「意外と詳しいね」と返すと

「おお。詳しいぞ!早く帰ってこないかなあ "リカバリー"」


またエラク回復力ありそうなシャトルですな。



116 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/21(日) 10:06:33 ID:rjk4Qyqc
今日は天ぷらにしようかなと言ったら、俺!俺にやらせてという。
一心不乱に作業してるので、ハマってるな〜と思って放置しておいた。

出てきたのは膨大なかぼちゃの天ぷら。しかもかぼちゃのみ。
天ぷらの山を前に「食べれないよ・・?」と呟く家族に、「いいの、俺が食うの。」と満足そう。
そして義務感もあいまって一心不乱に食す父。案の定ちょっと作り過ぎた〜とか言ってる。

食欲にまかせて作っちゃうのはいいけど、加減ができないのね・・・。




119 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/21(日) 14:59:17 G2jRRYeZ
私はハムスターを飼ってるんだけど、父はネズミ類が大嫌い(干支は子なのに)
そこでたまに悪戯をする。
父がテレビを見ているうちにハムをケージから出し背後へ持って行く。
そして顔の近くにハムを近づけ「お父さん♪」
振り返った父は


     |∧ ∧ ゛
     |´・ω・`)     ひゃあ
     |⊂     
     |


…私って親不孝?




125 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/23(火) 00:32:34 ID:GCJa9S0r
彼氏と海に行く予定の前の日、天気予報を見ると明日は雨が降りそう。
父は大喜び。からかわれ、不貞腐れて部屋にこもった。
どれだけしてからか父が謝りに来た。
そのときはもう怒ってなかったけど、意地を張って無視。
「これ食べろ。」と言って父が出て行ってから振り返ったら、
私が自分で買ってきたプリン(スプーンなし)と、ティッシュで作った
いびつなてるてる坊主が置いてあった。
父はドラえもんのつもりで描いただろう気持ち悪いヤツが
「晴れるなりよ!」と言ってる紙まで添えられていて、
落ち込むのもアホらしくなった。
(父が描く絵は下手で面白いので、よくねだって描いてもらう。
喜ばせようとしたんだと思う。)



137 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/25(木) 00:07:13 ID:ZK2e6MUt
家族で焼肉食べに行って、父は石焼ビビンバを頼んだ。
運ばれた時に店員に「うつわが熱くなってますのでお気をつけ下さい」
と言われて父は元気よく「はーい」と返事したと同時にうつわを持った。
「あちっ」と言って慌てて耳たぶを触る。
萌えの2コンボです。



138 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2005/08/25(木) 00:38:08 ID:v/CGtwcY
深夜酔っ払って帰宅した父が布団に入って眠りにつく寸前、隣にいた母に
「○○ちゃん(私の名前)、鼻をかむときは、片手じゃなくて、両手で抑えた方が、
女の子らしくて、お父さんはいいと思うなあ〜〜グー…(←寝た)」
と言ってたと聞いた。
ちなみに片手鼻かんでたらしい(本人自覚ない)のはその日のことではないです。

寝る寸前にいうほど気になってたのねお父さん…
気をつけます…



posted by (・∀・)うーぱー at 04:21 | TrackBack(0) | 和みネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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