2005年09月07日

台湾ちょっといい話・2

2chの台湾関係の板やスレから、気に入ったレスを転載。
旅行や仕事で行った台湾での心温まる体験談。
見やすいように改行だけ変えている場合あり。



153 名前:美麗島の名無桑 :01/12/13 20:37
福岡から台北行きの飛行機の中で、たまたま座席が隣り合わせになったおじいちゃん。
山口在住で少年時代を台湾で過ごしたという。
すごくおしゃべりで、飛行機が到着するまで私は耳を休めることができなかった。
今回、50数年ぶりに台湾を訪れ、昔の友に再会するのだという。
空港到着後、入国審査のところで、おじいちゃん達とは別れた。

2日目のこと。
台南の古跡、赤嵌を訪れた。
ふと見ると向こうから、あのおじいちゃん達が歩いてくるではないか。
なんとなく躊躇しながら「おじいちゃん」と声をかけようとした時、視線の脇より別の老人が飛び込んできた。
次の瞬間、2人は2言、3言、言葉を交わしたのち抱擁した。そして頬に涙。
そうです。私は見てしまったのです。歴史的瞬間を.....

しばらくして、私はそっと立ち去ろうとした時、おじいちゃんの方も私に気づき、
声をかけてくれた。そして台湾人の老人の方にも紹介してくれた。
台湾人の老人は、しつこく、一緒に食事をしていくよう勧めてくれた。
近所のレストランで、食事をご馳走になった後、私は別れた。

何よりも感動した台湾旅行だった。





163 名前:美麗島の名無桑 :01/12/15 01:53
つい1週間前のこと。台湾から1通の手紙が届いた。
差出人の名前にも、住所にも全然心当たりが無い。
封を開け、手紙を読む内に7,8年前の記憶がよみがえった。

台北に2ヶ月ほど出張したとき、帰国間近の休日を利用し一番南の墾丁へ出かけた。
自然公園の日本では見られない紫色の蝶が舞い、海の色が限りなく美しかったことを覚えている。
夕方近く、帰路へ着こうとバス乗り場へ足を進めていると、
「日本人の方ですか?」と声がかかり、「はい」と頷くとそこには老夫婦がいた。
その後どのような会話をしたか、今は記憶に無いが、この家族に車に乗せてもらうことになった。
40代の息子さんが運転手。私は助手席に乗せてもらい、後に老夫婦と高校生の孫娘さん。
老夫婦のほか息子さんの日本語も上手で、このことがおじいさんの自慢。
孫娘さんが日本語に興味を持たないことをしきりに残念がっていた。
このあと、車で高雄空港まで送ってもらうことになったが、この家族の家は高雄から南へ30分位の東港で、ここへ寄り道ししばらく休憩させていただいた。
その後おじいさんと息子さんに送っていただき、空港では私が搭乗口へ消える1時間ほどの間、ずっと一緒にいてくださった。

その後いったん日本へ帰国し、2ヶ月ほどのち再度台湾へ出張した。
外国人向けの日本語のテキストを2冊ほど抱え、この家族を訪ねた。

もう、ずっと以前のことなのですっかり忘れていた。
で、手紙の中身なのだが.......
日本語の本をいただきありがとうございました。とはじまり
その後、孫娘さんも日本語に興味を持つようになり、家族みんなで日本語が
出来る喜びを切々と綴ってあった。
最後に、先月、孫娘さんが日本人と結婚したことを記していた。





230 名前:関空好き! :02/02/13 10:39
仕事で始めて台湾に行ったときでした。私は20代前半の若輩者でまだ台湾のことを良く知らず、「所詮、自社製品を安く作るための、安い労働力。」などと考えていました。
そんなとき、台中の工場の社長さんに出会いました。
彼は日本語を流暢に話し、日本のことにも精通していました。
また、私に毎日のように台湾の素晴らしい料理をご馳走してくれて、まるで遠くから来た孫のように接してくれました。
私はそれまでの中国出張の経験から、
「これは過剰接待である。この分は生産品のコストに上乗せされる可能性があるので、注意する必要がある。」と、考えていました。
出張の最後の日、彼は中正国際空港までバスで帰る私に、心配だからと言って付いて来ました。
そこで彼は私に、後継者がいないので、もうすぐ工場をやめる予定だと言いました。
私は耳を疑いました。
工場を閉めるならば、私をもてなした見返りはまるでないということだからです。
私は彼の行動が理解できず、なぜ私をこのように大事にしてくれたのかと聞きました。
彼は言いました、「日本人には昔世話になったからね・・・。」

その後、彼の工場はなくなり、私は今もアジア各地をうろつきまわっていますが、
台湾の人が、お客さんとして日本に来ているときだけは、休みを返上してでも
彼らのために出来る事をさせて頂くようにしています。
それが見返りを求めず私をもてなしてくれた恩人に唯一報いる路だと思っています・・・。





271 名前:美麗島の名無桑 :02/02/25 01:58
10年以上前のことだが、阿里山で新高山越しのご来光を見て、
しばらくして台北に帰ってきて中正記念堂の前をぶらついてたら、
後ろから知らないおばさんに
「ちょっと、あんた」と呼びとめられた。
「あんた阿里山にいたでしょ」
「ええ、いました」
「あたしあんたのうしろでご来光見てたのよ」
「そうだったんですか」
「あたし高雄からきたんだけどね、農協の旅行で」
「へー」
現地の人だった。なんかすごく気安くて楽しいくらいだよな。

おんなじような調子で、行く先々で「日本人の若造が来た」ってだけでとっつかまって、ご馳走してくれたり、ほんとに親切にしてもらったな。
自分は歴史好きなんで、昔話されても退屈しなかった。
桃園では民進党の議員だと自称する爺さんと「加藤隼戦闘隊」を歌ってきた。






275 名前:美麗島の名無桑 :02/03/05 16:34
台湾で旅行者用のバスに乗って外を見てたら
隣の車に乗っていた初老の男性と目が合った。
なんていうか、なんだかとっても親しみのこもった目で見つめられたので
お辞儀をすると向こうも深深とお辞儀を返してくれた。
些細な事だけどなんだか忘れられない。






345 名前:美麗島の名無桑 :02/03/21 22:23
親友の死の知らせを聞いたのは台湾出張7日目のことだった。
幼い頃から兄弟のように育ち、よく喧嘩もしたし唯一心の許せるヤツだった。
もう、会うことも出来ないと思うと、夜も眠れず、食欲もない。
思い出だけが脳裏からはなれず、ただ、ただ、悲しい。
2日後、ようやく出張作業が終わったものの、何もする気にはなれなかった。
気持ちの整理がつかず、日本へ帰る気持ちにもなれない。

滞在先の安いホテルのフロントに宿泊の延長を申込み、部屋でぼんやりしていた。
何も考えたくない。
ベッドで一人、ただ時間が悲しみを取り去ってくれることを願った。

夕刻、フロントの小姐から部屋に電話がかかってきた。
「食事、一緒に食べませんか?1階で待ってますから・・・」
考えてみたら昨夜から何も食べていないことに気がついた。
言われるままに、1階へ降り、従業員用の食堂へ案内された。
2人の小姐と1人のおじさん(後日、このホテルのラオパンだと知った)と食事を摂った。
「明日も一緒に食べましょう・・・」と誘われ、部屋へ帰った。

次の日の夜、また部屋に電話がかかり、誘われるままに1階へ降りた。
テーブルの上にケーキがあった。
「ハッピーバースディ・・・」 
昨夜のメンバーと、このホテルの常連客のシンガポール人だった。

涙が出てきた。とめたくても止まらない。
うれしいのか、悲しいのか、分からない。一生分の涙が流れたと思う。
この夜、深夜まで皆が元気付けてくれた。
少しではあったが心の整理がつき、立ち直れそうな気がした。

翌日、ホテルをチェックアウト。日本に帰った。
ホテルの明細書を見てビックリ・・・宿泊の延長分や食事代は一切含まれていなかった。
早々、ホテルへ電話をかけ、このことを告げると
「ラオパンの指示ですから・・・、それよりも早く元気になってくださいね・・・、
それから、台湾へ来たら、いつもうちのホテルを使ってください・・・」





354 名前:美麗島の名無桑 :02/03/29 22:22
一昨年の11月に3泊4日での初台湾一人旅。
台北駅から光華商場へ行こうと小さな地図を持って歩いていった。
が、探せど探せどなかなか見つからず半ば途方に暮れた時、お爺さんが
「日本の方ですか?」
と実に丁寧な日本語で話し掛けてきた。実はここに逝きたいんですがと説明すると、
「ああ、あそこの赤やら青やらに光ってる。。」
『信号ですか?』と聞き返す
「そう、信号のあたりがみんな商場ですよ」
『どうもありがとうございました!』と答えて歩き出す。
そのあたりまで来た時にどうやら違う方向に曲がってしまったらしい
すると後ろから
「違うよ!そっちじゃなくてこっちだよ!」
おお!?さっきのお爺さんがスクーターから叫んでいる。
無事に着けるかどうか見守っていてくれたのか?
なんて親切な人なんだ!そして、なんて元気な人なんだ!
おじいさん、ありがとう!

ところで、士林で道を聞いたおばあさんも信号の事を
「赤やら青やらの。。。」と表現していたっけ。
台湾で困ったらお年寄りに頼りましょうね。
戦後中国から女性はほとんど来なかったそうなので、お婆さんの方が確実なようです。





408 名前:406 :02/07/11 21:33
>>407
ああ、はい私が悪かったですよ、そこまでいわれちゃしょうがない、一つしか無いけどお詫びにダチの話でよければちっこいのがあるよ

台湾に行った俺のダチが、なんとかという武術の先生のところに転がり込んで必死になって頼み込んで弟子(通いの)にしてもらったんだが、ある日無理がたたってバイトの帰りに夜の町中でぶっ倒れちまった。
そしたら、そいつがぶっ倒れていた場所の店の人が見つけて医者を呼び、一生懸命看病(一週間くらい)してくれたと、
ダチが感激して後日少ない貯金から礼を出そうとしたら、店の主人が

「必要なし、その代わり聞きなさい。もしあなたが同じように困った人を見つけて、そして助けることが出来る立場なら、どんな人でも助けてあげて、それが何より」
そいつが感激してもう一度礼を言おうとしたら今度はこう言われた

「さっきのはあなたの国の人が戦後まもない時期に私の祖父に言った言葉だよ、」
聞けばその家の亡くなった祖父はそいつと同じで戦後武術を習いに中国から渡ってきたクチで、やはり町中でぶっ倒れたことがあるんだと、そうしたら日本人の夫婦が見つけて看病してくれたらしい。

ダチはその店の方向に足を向けて寝られないそうだ





426 名前:美麗島の名無桑 :02/07/15 02:28
台東で知り合ったお爺さんに聞いた話し。

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以前ねー、日本人らしき女性が深刻な顔をして、この辺に座ってたの。
私が話しかけてみると、「台湾を一人旅しているが、財布(12000NT$)等を無くしてしまって、帰りの航空券も買えない」と言ったの。

私は可哀想に思ってねー、友人と相談し
「日本から送って返してくれればいいですよ」
と言って、12000NT$をその女性に貸してあげたの。
女性は感激してねー、何度もお礼を言い
「必ずお返しします」と言って帰って行ったの。

女性が帰った数日後、再びその女性が台東に来たから驚きましたよ。
理由を聞いてみると「日本に帰って、父にこの事を話しました。
父は感激して
『見知らぬ外国人のお前を信用し、12000NT$の大金を貸してくれた方に送って返すのは失礼だ。台東に戻って直接返しなさい』と言われました。」
----------------------------------------

お爺さんは
「感心しましたよ。わざわざ台東まで返しに来たんですよ。昔と同じ、日本人は礼儀正しく真面目ですよ」
と嬉しそうに俺に語ってくれた。






603 名前:美麗島の名無桑 :02/12/05 23:53
台湾に一人で旅行をした時、どうしても美容院で横にならずにやってもらうシャンプーをやってもらいたかった。
筆談でどうにかやってもらえることに。洗い終わった後に何か言ってくるんだけどなんだかわからない。すると私に電話に出ろと。何かと思って電話に出ると
「もしもし、私日本語わかるからね」と、おばあさんの声。
「あのね。どういう風にブローすればいいのかわからないのよ。おばさんが通訳してあげるからね」と。
その間も美容師さんはニコニコしていました。
すっごく丁寧にやってもらって感激。
日本が統治していた時に覚えた日本語ということ。
役に立てて嬉しいとまで言ってくれた。
本当に台湾っていい国!





873 名前:美麗島の名無桑 :03/11/15 23:14
台南にて。

台南駅を出て、さぁこれからどこにいこうかときょろきょろしてたら、
タクシーの運ちゃん風なおじさんが近づいてきた。
「どこに行くんですか?」
警戒して「ええっと。。。どうしようかなぁ〜」と語尾を濁しつつ、
なんとなくそのタクシーに乗ってしまった。
そのままホテルにチェックインすることにしたが、運ちゃんにそれを伝えると、張り切ってこぎれいなホテルに乗り付けてくれた。
そのときはホテルとグルになってかもられてんじゃないかと、すっごい警戒してたんで、
「このホテルいくらっ!?」
とあわてて言ったら、ホテルのフロントの人にわざわざ聞いてくれた。
最終的に3〜4件巡って、予算的に納得できるところに落ち着く。
本当にすべて善意でやってくれたらしい。疑った私は汚れていた。スマナイ(泣)

観光名所、チーカンロウを観光する。
写真を撮ってもらおうとして、近くにいた中年カップルに頼む。
「写真とってくれますか〜?(北京語)」
「いいですよ〜。」
「(撮り終わって)どこから来たの?」
「日本です。」
「えっ、日本人?ヨウコソイラッシャイマシタ!」
「(こっちも日本語で)おぉっ、日本語お上手ですね!」
「いやー。仕事で使っているんでね。どうぞ、台南を楽しんでいってください!」

公園をうろちょろしてたら、70くらいのおじさんに声を掛けられた。
最初は台湾語だったけど、うろたえてる私を見て日本語に切り替えた。
「旅行ですか?」
「はー、そうですー。」
日本時代は郵便局員だったというその老人、宋さんはそれから3時間延々と日本に対する思いを語ってくれた。
ちょうど昼食時になったので、近くにある食堂に連れて行ってもらった。
もちろん宋さんのオゴリ。
それからお土産に、と絵葉書をくれて、駅までのタクシー代まで出してもらった。

そして台南駅で、高雄までの切符を買おうとして路線図を見上げていたら、今度は50がらみのおじさんが近づいてきて、「どこまでいくの?」と聞いてきた。
「高雄」と答えたそばから、そのおじさんは窓口の係員に「高雄まで一枚!」と告げた。
お金を出そうとすると、「いや〜いいっていいって!」と断固拒否。

台南。なんともホスピタリティーにあふれた街だった。





962 名前:美麗島の名無桑 :04/02/17 13:37
台湾イイよ。
台南からバスで烏山頭ダムまで行くつもりだったんだね。
それで台北の友人の友達にそこ行きのバスを探してもらったんだ。
でも、なかなか見つからなくて、やっと、烏山頭ダムから4キロほどのところまで行くバスを見つけてもらった。
バスの運ちゃん(50歳くらいかな)俺が日本人だと分かるとうれしいらしく、乗り込もうとしたら、日本語で話しかけてきた。
「オリナサイ」
反射的に降りようとしたら、「マッテ」。
どうやら、「降りなさい」と「乗りなさい」を間違えただけのようだ。
烏山頭まではそのバスは行くバスじゃないんだが、行ってあげるだって。
日本の音楽が好きらしく、テープが日本の音楽だらけ。
「帰ってこいよ」という古い音楽を聴きながらバスに揺られることになる。

↓続き
963 名前:美麗島の名無桑 :04/02/17 13:38
運ちゃん、烏山頭ダムに来てくれて嬉しいよとしきりに言っていた。
烏山頭ダム、これは日本人が作ったダムなんだよな。
八田興一が、働くにはまず環境からと、作業員のための環境作りをまず整えた。
社宅、医院、公共風呂、テニスコート、学校なんかを整えて働きやすい環境を整えたんだ。
ダム建設は順調にいった。
でも、関東大震災で財政難になり、リストラを政府から迫られた。
それで八田はどうしたかというと、有能な人物から辞職してもらった。
有能な人物は他に職をすぐに見つけられるだろうし、いい技術者がもっと生まれるかもわからんと考えたわけ。その八田も烏山頭ダム完成の後フィリピンに異動命令。
フィリピンに向かう船の中、米軍の攻撃に逢い、命を落とす。
その後、日本も敗戦し、妻も夫の後を追いダムに身を投げた。
終着のバス停で僕一人を乗せたバスは烏山頭ダムへと向かう。
運ちゃんとの別れの時に撮った写真は今でも俺のかけがえない台湾での宝物の一つだ。

posted by (・∀・)うーぱー at 12:59| Comment(7) | TrackBack(0) | 和みネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TB有難うございました!
何と言いますか、台湾の旧同胞って敗戦で日本が捨てたみたいな格好になったにも関わらず、親愛の情を抱いていてくださっているのには本当に申し訳なく思います。
戦後は国民党の反日教育とかもなされていた訳ですが、旧同胞の世代が「そんなの出鱈目だ」と言ってくださっていたのが大きいんですよね。
日本時代も負の側面はあったんだけど、是々非々で判断してくださってます。何か大雑把な印象としては、台湾人ってよい事が60、悪いこと40だったら総体的には「よかった」という判断で、朝鮮人はよいこと80、悪いこと20でもその悪い20をネチネチ言いそうな感じはしますね。

Posted by tsubamerailstar at 2005年09月07日 15:19
いい話がいっぱい・゚・(ノД`)・゚・。
マジで涙出てきたよ。

昨今のネットの普及でいろんな情報に触れられるようになったけど、いまだ多くの日本人が、台湾と中国を一緒クタにしてると思うんだよね。実際おいらもつい最近まで、台湾が昔日本の一部だったってことを知らなかった。「台湾って独立国?中国の一部?」ってよく判ってない人、けっこう多いと思う。これって台湾の人たちに非常に申し訳ない。

ということで管理人さん、もっと台湾のいい話キボンヌ(・∀・) パラオも!!(・∀・)
親日のいい話を広めよう。
Posted by 最近になって近代史を勉強し始めた人 at 2005年09月08日 09:11
>tsubamerailstarさん
>敗戦で日本が捨てたみたいな格好になった
高砂義勇兵の話を知った時に申し訳ない気持ちになりました。
でもだからこそ、これからもっと台湾とは良い関係になっていけたらと思います。
今まで接したことのある台湾の方がいい人ばかりだったというのもあり、私も結構台湾に対しては好印象を抱いています。
朝鮮人は…数年前に都内某コリアタウンで仕事をしていた時の嫌なイメージしか残ってませんけどもw
ほぼ同時期に日本に支配されていたのに(寧ろ台湾よりももっと優遇されていたのに)、朝鮮人がああなのは民族性の違いなんでしょうねぇ。
半島と絶縁できるものなら絶縁したいところですw


>最近になって近代史を勉強し始めた人さん
名前長っ!w
台湾話は激しく和むので私も好きでつ+.(・∀・)゚+.゚
色んな国の親日話を知っているので、そのうち追々にでも紹介していきますねー。
著名人だけでなく一般人の親日話も萌えまつ(*´Д`)ハァハァ
ちなみに私もネットをやるまでは台湾って香港みたいに中国の一部なのだと思ってますたorz
台湾たんごめんね台湾たん・゚・(つД`)・゚・
Posted by (・∀・)うーぱー at 2005年09月08日 19:33
何か当時もノリ的には台湾の人とは上手くいってたのかなぁという気はしますね。
先日留学生の女の子に、
「福岡は結構引ったくりとか多いから、夜研究室から自転車で帰る時何かは気をつけた方がいいよ」
と申しましたら、
「お金は大して入ってないから大丈夫ですよ」
と。何かまったりしたノリはいいんだけど、そういう問題ではないような・・・・
Posted by tsubamerailstar at 2005年09月10日 13:37
>台湾の人とは上手くいってた
大局的に見るとそうだったみたいですね。
ただ、やはり多少の差別のようなものはあったそうですけども。
日本時代に台湾に住んでいた方の体験談の中に「人力車は台湾人の仕事であって日本人はそんな仕事をしてはならなかった」みたいな事が書いてありました。
まあそれでも日本人と台湾人の関係はそれなりに良好だったようです。

その留学生の女の子、のんびりとしてますね(笑)
やはり南国育ち特有ののんびりさなのでしょうか(笑)
Posted by (・∀・)うーぱー at 2005年09月11日 00:05
はじめまして。
厳選!韓国情報のレスから飛んできました。
う〜ん、ここは心に一服の清涼剤ですね。
できるところから台湾への協力はじめます。
(台湾製品の購入とか)
Posted by あぁ〜コリコリ at 2006年01月01日 22:25
ネット落ちしていたので遅レスですみません。
アレな隣国ばかりなので台湾は本当に清涼剤のような存在ですよね。
台湾が日本に輸出している果物(マンゴーやパパイヤなど)は、日本の食品安全基準?を満たすように努力しているらしいので、安心して食べられますよん。
台湾人の誇りにかけて努力したそうなのですが、そういう姿勢にはとても好感が持てますよね。
台湾のそういう所が好きです(*´Д`)'`ァ'`ァ
Posted by (・∀・)うーぱー at 2006年01月12日 13:58

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